第3章 サイコパス
3-3.“お母さん”
2009年11月後半からの丸2年、私はPCとはほぼ無縁で過ごした。
マウスに触れただけで身体が硬直し、見るのも嫌だったのだ。
嫌悪感が消えるまで、さらに1年余りを要した。
2011年9月、K氏の訃報が届いた。
死因はハッキリしない。だが脳内出血の痕跡が、その顔にハッキリと現れていた。
葬儀が済んだ後、我が家を包んでいた巨大電子レンジの事が何度も思い出された。
Kは間違いなく、送電線を使ったあの特異なアタックを受けていた。
偏食はひどかったが、彼はまだ若く病気がちではなかった。我が家では、何年も育てていた観葉植物が、たった2ヶ月程で、大多数が腐り果てたのだ。電流攻撃が無害のはずはなかった。
また同居中の家族が誰一人気付かない中で、一人だけ苦痛の日々を送っていた可能性がある。
陰に隠れ、常習的に“いじめ”を続ける狡猾な子供のように、他の人間が気付かぬよう、ターゲット一人だけを攻撃する、それがSのやり方だった。
葬儀の後のやり場のない怒り、それは諦めかけていた私を復帰の道へと導いた。
2012年7月、嫌悪感は消えていなかったが、私は敢えてWeb関連の職に就いた。場所は仙台だった。
同9月、何年ぶりかで新しいノートPCを購入した。
最初の起動時は普通に使えた。
胸を撫で下ろしたのも束の間、数日後、例のブラックアウトで起動不可となり、購入後、ものの1週間でメーカーへ逆戻りした。実家での事だった。
だが修理後は、時々ダウンする事を除けば問題なく使えた為、極力気にしないよう努めた。
その後は、PCにも身の回りにも、特に何事も起こらなかった。
ただそうなってみると、過去の出来事は益々現実味を失い、まるで夢か幻のように思われた。
しかし、夢でも妄想でもない現実だという事は、私自身がよくわかっていた。
解決されないままの疑問の数々、それらは熾火のように燻り続け、気付くと頭から離れなくなっていた。
中でも私を悩ませたのは、通信手段を必要としない、あの特殊なハッキング技術の正体だった。
その疑問は巨大なシコリのように心の中に居座り、決して消えなかった。
そこで、過去の出来事をもう一度、冷静な頭で整理してみることにした。
ここからは、2009年当時には気付いていなかった、関連する被害事実についてである。
話を少し戻そう。
2009年の9月、四国行きを決めた頃、ゲーム空間上でも運営側が苦戦していた。
大量のIPアドレスを使った執拗なアクセスを、まとめてブロックしようとしていた。
だが、先端技術の詰まった3Dゲーム用の超高性能サーバーを、ハッカーが諦めるはずはない。
ハッキング技術を試すには、最高級の実験材料だからだ。
これはその頃に届いたスパムである。
「お母さん、ありがとう。貴方のお蔭で○○世界にまた復帰できたよ」
“ありがとう”の意味は、数か月後に判明した。
8月後半から、7ヶ月以上も放ったらかしで、ただの一度も接続していなかったSo-netアカウントが、175日間一日も休まず、誰かに使われた記録が残っていた。
Sは自分が使っていたIPアドレスがサービス側にブロックされ使えなくなった為、代わりに私のIPアドレスを不正に使ったのだ。
しかし、疑問はその事ではなく“お母さん”という言葉の方だった。
あまりに不気味で頭にこびりついていた。
私はある事を思い出した。
PCのハッキングに気付いたのは2008年の秋だが、それより前から、家の中では小型家電が過加熱でよく壊れていた。コーヒーメーカーなどは、買っても2ヶ月程ですぐダメになった。
始まりは2007年の春、まだ寒かった頃だった事を思い出した。
S本人と直接知り合うより半年も前だ。
PCの異常はさらに古く、気付いたのは2005年の秋頃だ。
当時は故障と思っていたが、一世代古いデスクトップPCにもすでに、ディスクトレーが勝手に出入りする嫌な挙動が確かにあったのだ。
思い当たる節があった。
2005年の4月頃、やけに安いと思いつつ、一度だけ不正規のショップからグラフィックソフトを購入した記憶があった。フィッシング詐欺だったと気付いたのは、だいぶ後になってからだ。
「家の窓から“イナダ”を釣った」
私は愕然とした。“イナダ”とはこの事か!
2005年頃からずっとPCの中に隠れ、中から情報をスパイしていたのだ。故に“お母さん”である。
『あのネットゲームへ連れ込んだのは、きっと私だ』
そして初対面のフリをし、何食わぬ顔で私とAに近づいたのである。
同時に、古い謎が一つ解けた。
中野で最初に会った時、極端に目を逸らした理由だ。
ハッキングの最中に、被害者の顔を直接見たのは、恐らく初めてだったのだ。
妻と娘がいるという話も、当然、話を合わせるためのでっち上げだと確信した。
始まりが明確になり、見えていなかった被害の全体像がハッキリしてきた。
整理してみよう。
上記は、全て私の身近で起きた被害の実態であり、いずれもハッカーSとの関係線上にある。
特に2008年12月以降の集中ぶりは凄まじい。
並べてみると、偶然や自然現象では到底説明がつかない事がわかるだろう。
さらに2009当時、IT業界を震撼させたいくつかのセキュリティ事件が同時並行で起きていた。
詳細は後回しにするが、それらの事件の多くは一種の“撒き餌”である。
その根拠は、20015年から同じ事が再び起き始めたからだ。
この“撒き餌”は、自分の素性や犯行を隠す為に、本命の活動場所とは無関係の方向へ撒くエサである。
そして食いつく“魚”は、ある時はセキュリティ業界のプロ、またある時は日本の警察や、各国の捜査組織のプロ達である。
なぜなら彼らは“常識”という名の固定観念を決して捨てる事が出来ない。
例えば目的は、あくまで金目当てであり、個人情報も売るために盗むという決めつけが、最初からある。
Sはそうした人の弱点に付け込み、それによって人を操る事にかけては天才なのだ。
おそらくSは、“撒き餌”で目標を見失った魚影を眺め、こうほくそ笑んでいるいるはずだ。
「*shudder* ぞくぞくする~」
マウスに触れただけで身体が硬直し、見るのも嫌だったのだ。
嫌悪感が消えるまで、さらに1年余りを要した。
2011年9月、K氏の訃報が届いた。
死因はハッキリしない。だが脳内出血の痕跡が、その顔にハッキリと現れていた。
葬儀が済んだ後、我が家を包んでいた巨大電子レンジの事が何度も思い出された。
Kは間違いなく、送電線を使ったあの特異なアタックを受けていた。
偏食はひどかったが、彼はまだ若く病気がちではなかった。我が家では、何年も育てていた観葉植物が、たった2ヶ月程で、大多数が腐り果てたのだ。電流攻撃が無害のはずはなかった。
また同居中の家族が誰一人気付かない中で、一人だけ苦痛の日々を送っていた可能性がある。
陰に隠れ、常習的に“いじめ”を続ける狡猾な子供のように、他の人間が気付かぬよう、ターゲット一人だけを攻撃する、それがSのやり方だった。
葬儀の後のやり場のない怒り、それは諦めかけていた私を復帰の道へと導いた。
2012年7月、嫌悪感は消えていなかったが、私は敢えてWeb関連の職に就いた。場所は仙台だった。
同9月、何年ぶりかで新しいノートPCを購入した。
最初の起動時は普通に使えた。
胸を撫で下ろしたのも束の間、数日後、例のブラックアウトで起動不可となり、購入後、ものの1週間でメーカーへ逆戻りした。実家での事だった。
だが修理後は、時々ダウンする事を除けば問題なく使えた為、極力気にしないよう努めた。
その後は、PCにも身の回りにも、特に何事も起こらなかった。
ただそうなってみると、過去の出来事は益々現実味を失い、まるで夢か幻のように思われた。
しかし、夢でも妄想でもない現実だという事は、私自身がよくわかっていた。
解決されないままの疑問の数々、それらは熾火のように燻り続け、気付くと頭から離れなくなっていた。
中でも私を悩ませたのは、通信手段を必要としない、あの特殊なハッキング技術の正体だった。
その疑問は巨大なシコリのように心の中に居座り、決して消えなかった。
そこで、過去の出来事をもう一度、冷静な頭で整理してみることにした。
ここからは、2009年当時には気付いていなかった、関連する被害事実についてである。
話を少し戻そう。
2009年の9月、四国行きを決めた頃、ゲーム空間上でも運営側が苦戦していた。
大量のIPアドレスを使った執拗なアクセスを、まとめてブロックしようとしていた。
だが、先端技術の詰まった3Dゲーム用の超高性能サーバーを、ハッカーが諦めるはずはない。
ハッキング技術を試すには、最高級の実験材料だからだ。
これはその頃に届いたスパムである。
「お母さん、ありがとう。貴方のお蔭で○○世界にまた復帰できたよ」
“ありがとう”の意味は、数か月後に判明した。
8月後半から、7ヶ月以上も放ったらかしで、ただの一度も接続していなかったSo-netアカウントが、175日間一日も休まず、誰かに使われた記録が残っていた。
Sは自分が使っていたIPアドレスがサービス側にブロックされ使えなくなった為、代わりに私のIPアドレスを不正に使ったのだ。
しかし、疑問はその事ではなく“お母さん”という言葉の方だった。
あまりに不気味で頭にこびりついていた。
私はある事を思い出した。
PCのハッキングに気付いたのは2008年の秋だが、それより前から、家の中では小型家電が過加熱でよく壊れていた。コーヒーメーカーなどは、買っても2ヶ月程ですぐダメになった。
始まりは2007年の春、まだ寒かった頃だった事を思い出した。
S本人と直接知り合うより半年も前だ。
PCの異常はさらに古く、気付いたのは2005年の秋頃だ。
当時は故障と思っていたが、一世代古いデスクトップPCにもすでに、ディスクトレーが勝手に出入りする嫌な挙動が確かにあったのだ。
思い当たる節があった。
2005年の4月頃、やけに安いと思いつつ、一度だけ不正規のショップからグラフィックソフトを購入した記憶があった。フィッシング詐欺だったと気付いたのは、だいぶ後になってからだ。
「家の窓から“イナダ”を釣った」
私は愕然とした。“イナダ”とはこの事か!
2005年頃からずっとPCの中に隠れ、中から情報をスパイしていたのだ。故に“お母さん”である。
『あのネットゲームへ連れ込んだのは、きっと私だ』
そして初対面のフリをし、何食わぬ顔で私とAに近づいたのである。
同時に、古い謎が一つ解けた。
中野で最初に会った時、極端に目を逸らした理由だ。
ハッキングの最中に、被害者の顔を直接見たのは、恐らく初めてだったのだ。
妻と娘がいるという話も、当然、話を合わせるためのでっち上げだと確信した。
始まりが明確になり、見えていなかった被害の全体像がハッキリしてきた。
整理してみよう。
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フィッシング詐欺被害)2005年春に詐欺被害。夏頃からPCのディスクトレーに異常動作。
破壊1)2007年春から小型家電が次々と壊れ、PCはディスクトレーの異常と過負荷があった。
破壊2)2008年6月頃、A氏の住まい(中野の集合住宅)の通信設備全体が過電流で破壊された。
ゲーム上のハッキング被害)同年夏からアカウント・ハッキング多発。仮想通貨が盗まれる。
破壊3)2008年12月、購入直後の起動時、ハッキングによってPCが使用不可。
破壊4) 〃 、実家ホテルの通信設備と低電圧機器が落雷に似た高圧電流により丸ごと吹き飛んだ。
破壊5)2009年4月、3台のPCがハッキングによりゾンビ化。使用不可。
破壊6) 〃 、A氏の十数台あったPCがハッキングによりゾンビ化。Mac以外が使用不可。
破壊7/8)2009年5月、JR中央線と京葉線で、過電流による信号機故障が発生。電車が止まった。
破壊9)京葉線事故の翌日、私室の照明器具のみ高圧電流によりスパーク。完全に破壊。
破壊10)京葉線事故の2日後、電話機がパッシング。その4日後、私室の電話機から放電・発火し、接続していた通信設備が一式吹き飛んだ。他の部屋には影響なし。
追跡11)同年6~7月、レジシステムやカード会社のサーバーへの不正侵入、GPS追跡、公衆電話の異常現象が連続的に発生。破壊被害なし。
破壊12)同年8月、低電圧の家電一式が過電流により全て破壊。新旧計7台のPCが使用不可。
破壊13)同年8月下旬、K氏の居宅が攻撃を受けた。被害状況は不明。
過電流とハッキング)同年9月中旬、フェリー内で異常な過電流とハッキングを確認。破壊被害なし。
-------------------上記は、全て私の身近で起きた被害の実態であり、いずれもハッカーSとの関係線上にある。
特に2008年12月以降の集中ぶりは凄まじい。
並べてみると、偶然や自然現象では到底説明がつかない事がわかるだろう。
さらに2009当時、IT業界を震撼させたいくつかのセキュリティ事件が同時並行で起きていた。
詳細は後回しにするが、それらの事件の多くは一種の“撒き餌”である。
その根拠は、20015年から同じ事が再び起き始めたからだ。
この“撒き餌”は、自分の素性や犯行を隠す為に、本命の活動場所とは無関係の方向へ撒くエサである。
そして食いつく“魚”は、ある時はセキュリティ業界のプロ、またある時は日本の警察や、各国の捜査組織のプロ達である。
なぜなら彼らは“常識”という名の固定観念を決して捨てる事が出来ない。
例えば目的は、あくまで金目当てであり、個人情報も売るために盗むという決めつけが、最初からある。
Sはそうした人の弱点に付け込み、それによって人を操る事にかけては天才なのだ。
おそらくSは、“撒き餌”で目標を見失った魚影を眺め、こうほくそ笑んでいるいるはずだ。
「*shudder* ぞくぞくする~」