第1章 日本人ハッカー
この話をはじめるに辺り、一時の間、貴方は私、私は貴方となって話を進めたい。
少しばかり、想像力の助けを必要とするためだ。
それほど非日常的で現実離れした出来事が、次からつぎへと起こっていく話なのだ。
少しばかり、想像力の助けを必要とするためだ。
それほど非日常的で現実離れした出来事が、次からつぎへと起こっていく話なのだ。
1-1. 気配 (2007~2008)
貴方は、一人の技術系のフリーライターである。
仕事柄コンピューターやネットワークについても、一般の人よりは基礎的な知識を持っている。
ある時貴方は、連載中の記事ネタに当時話題となっていたネットゲームを取り上げる事にした。
ゲームは嫌いではなかったが、手にするのはせいぜい1~2年に1度、仕事がぽっかり空いた時くらいで、ネットゲームは全くの門外漢だった。ただそのネットゲームには為替市場が存在し、日本の大手企業も参入しはじめたという噂で興味が沸いた。
そして利用をはじめて間もなく、貴方は都内に住むという二人の人物と知り合いになった。
二人は30代後半と40代前半の日本人男性で、どちらもプログラマーだった。
一人目はソフトウェア系で、もう一人はハードウェア系だ。主な違いは、ソフト系はアプリケーション開発が中心、ハード系は電気系統や機器類の制御用プログラムの開発が中心である。
以降は前者を「A」、後者の40代前半のハード系プログラマーを「S」と呼ぶことにしよう。
この二人は驚くほど語学が堪能で、どちらも数ヶ国語を操った。
Aは10代で留学してからアメリカ生活が長かったという話で、英語以外にもドイツ語やスペイン語を使えた。一方Sは、父親が教育者との事で、英・中国・韓国語を読み書きするほか、知り合って間もなく英会話検定の一級を取得し、スペイン語の辞書を3週間で丸暗記。さらにドイツ語も勉強中だと自慢していた。なるほど、オタクと呼ばれる人達の中には、実生活そっちのけのどうしようもない連中も多いが、頭脳明晰で高い能力を持つ人も少なくない。
実際二人はマナーが良く、話題性に長け、会話していて楽しい連中だったが(主なコミュニケーション手段はゲーム内のチャットやIMなど)、仕事でコンピュータに向き合い、さらに平日も深夜までネットゲームだ。やはりオタクの部類だろうと思った。
それから3ヶ月ほど経った頃、Sから忘年会の提案が出た。その時の言葉はこうだ。
「三人で忘年会をする夢を見ました。みんなで飲みたいですね」
「それはいい、忘年会をやろう」ということになったが、なぜか日取りを決める段にAは現れず、連絡も取れなかったため、取り敢えず二人だけで行くことに決めた。
中野駅で待ち合わせをし、挨拶後にすぐ昼食、その後ビリヤードで時間をつぶしてから居酒屋へ行った。一杯飲み始めた頃に名刺を渡すと、氏名・住所を書いたメモをお返しにもらった。
この初対面の時、気になる事が一つあった。
まず会うなりSは目を逸らし、挨拶の間もずっと斜め横へ顔を向けたままこちらを見ようとしない。
それ以上に、会った途端に刺さるような生臭さを覚えて一瞬ギョッとした。
その時の記憶は今も鮮明である。
嗅ぐ匂いではなく、ある種の気配だった。
貴方はあちこちで取材をしてきた経験があった。人もいろいろと見て来たつもりでいたが、そんな気配を纏った人間には出会った事がない。
また “釣り”が趣味で娘が一人いるという話だった。休日は娘とゲーム機を取り合い、妻はあきれ顔だとも言っていた。しかし第一印象は、どう頑張ってもアウトドア派にも、一人娘とゲームを取り合うタイプにも見えなかった。
ちぐはぐで奇妙な人物だと思った。
昼食の間もやけにその事が気になったが、徐々に目を合わせ普通に会話するようになり、貴方は途中から気にするのを止めた。彼の妻は、千葉県出身であるとの事だった。
その後の数ヶ月は何事もなく、ゲーム内では飛び交う多言語に四苦八苦しながら過ごした。
Sとは次第に、チャットを通じてほぼ毎日のように話をするようになっていった。
その仮想空間内には、一種の暗黙のルールが存在した。
顔を知る相手でもメールや電話はめったに使う事はなく、誰かと話す時には必ずログインしてからチャットやIM(インスタントメッセージ)を使った。私生活にはお互い立ち入らない。それは言わば、仮想世界でゲームを楽しむためのコツのようなものだった。
友人は他にも数人できたが、SとAの二人は話題が豊富でひょうきんでもあった。話のネタに事欠かず、徐々に気の置けない親しい友達となり、各々とチャットで冗談を言っては笑い合う日が続いた。
その中で唯一気になった事と言えば、日本人である事を人に知られるのをSが嫌った事だ。
特に他のユーザ―といる時には、日本語を一切使わなかった。また貴方が日本語だけで通そうとすると、時々文句を言うのだった。
『何かコンプレックスでもあるのか?』と尋ねると、理由を言わず、「指摘されてドキッとしました」と、笑うだけだった。訝しく思ったが、それ以上は聞かなかった。
Sとは、最初の時に貸した古いビデオゲームを返してもらうため、その後もう一度会っている。
その日は昼食だけで、Sは早々に帰っていったが、2度目は例の気配は感じられなかった。最初とは打って変わり、40才のパパらしい細かな格子柄の落ち着いたブレザーが印象に残っている。
貴方は、最初に会った時の奇妙な印象の事を徐々に忘れていった。
ただしそれは記憶の奥底に残り、やがてある疑問を解くカギとなっていく。
2007年9月下旬から2008年6月頃までの出来事である。
仕事柄コンピューターやネットワークについても、一般の人よりは基礎的な知識を持っている。
ある時貴方は、連載中の記事ネタに当時話題となっていたネットゲームを取り上げる事にした。
ゲームは嫌いではなかったが、手にするのはせいぜい1~2年に1度、仕事がぽっかり空いた時くらいで、ネットゲームは全くの門外漢だった。ただそのネットゲームには為替市場が存在し、日本の大手企業も参入しはじめたという噂で興味が沸いた。
そして利用をはじめて間もなく、貴方は都内に住むという二人の人物と知り合いになった。
二人は30代後半と40代前半の日本人男性で、どちらもプログラマーだった。
一人目はソフトウェア系で、もう一人はハードウェア系だ。主な違いは、ソフト系はアプリケーション開発が中心、ハード系は電気系統や機器類の制御用プログラムの開発が中心である。
以降は前者を「A」、後者の40代前半のハード系プログラマーを「S」と呼ぶことにしよう。
この二人は驚くほど語学が堪能で、どちらも数ヶ国語を操った。
Aは10代で留学してからアメリカ生活が長かったという話で、英語以外にもドイツ語やスペイン語を使えた。一方Sは、父親が教育者との事で、英・中国・韓国語を読み書きするほか、知り合って間もなく英会話検定の一級を取得し、スペイン語の辞書を3週間で丸暗記。さらにドイツ語も勉強中だと自慢していた。なるほど、オタクと呼ばれる人達の中には、実生活そっちのけのどうしようもない連中も多いが、頭脳明晰で高い能力を持つ人も少なくない。
実際二人はマナーが良く、話題性に長け、会話していて楽しい連中だったが(主なコミュニケーション手段はゲーム内のチャットやIMなど)、仕事でコンピュータに向き合い、さらに平日も深夜までネットゲームだ。やはりオタクの部類だろうと思った。
それから3ヶ月ほど経った頃、Sから忘年会の提案が出た。その時の言葉はこうだ。
「三人で忘年会をする夢を見ました。みんなで飲みたいですね」
「それはいい、忘年会をやろう」ということになったが、なぜか日取りを決める段にAは現れず、連絡も取れなかったため、取り敢えず二人だけで行くことに決めた。
中野駅で待ち合わせをし、挨拶後にすぐ昼食、その後ビリヤードで時間をつぶしてから居酒屋へ行った。一杯飲み始めた頃に名刺を渡すと、氏名・住所を書いたメモをお返しにもらった。
この初対面の時、気になる事が一つあった。
まず会うなりSは目を逸らし、挨拶の間もずっと斜め横へ顔を向けたままこちらを見ようとしない。
それ以上に、会った途端に刺さるような生臭さを覚えて一瞬ギョッとした。
その時の記憶は今も鮮明である。
嗅ぐ匂いではなく、ある種の気配だった。
貴方はあちこちで取材をしてきた経験があった。人もいろいろと見て来たつもりでいたが、そんな気配を纏った人間には出会った事がない。
また “釣り”が趣味で娘が一人いるという話だった。休日は娘とゲーム機を取り合い、妻はあきれ顔だとも言っていた。しかし第一印象は、どう頑張ってもアウトドア派にも、一人娘とゲームを取り合うタイプにも見えなかった。
ちぐはぐで奇妙な人物だと思った。
昼食の間もやけにその事が気になったが、徐々に目を合わせ普通に会話するようになり、貴方は途中から気にするのを止めた。彼の妻は、千葉県出身であるとの事だった。
その後の数ヶ月は何事もなく、ゲーム内では飛び交う多言語に四苦八苦しながら過ごした。
Sとは次第に、チャットを通じてほぼ毎日のように話をするようになっていった。
その仮想空間内には、一種の暗黙のルールが存在した。
顔を知る相手でもメールや電話はめったに使う事はなく、誰かと話す時には必ずログインしてからチャットやIM(インスタントメッセージ)を使った。私生活にはお互い立ち入らない。それは言わば、仮想世界でゲームを楽しむためのコツのようなものだった。
友人は他にも数人できたが、SとAの二人は話題が豊富でひょうきんでもあった。話のネタに事欠かず、徐々に気の置けない親しい友達となり、各々とチャットで冗談を言っては笑い合う日が続いた。
その中で唯一気になった事と言えば、日本人である事を人に知られるのをSが嫌った事だ。
特に他のユーザ―といる時には、日本語を一切使わなかった。また貴方が日本語だけで通そうとすると、時々文句を言うのだった。
『何かコンプレックスでもあるのか?』と尋ねると、理由を言わず、「指摘されてドキッとしました」と、笑うだけだった。訝しく思ったが、それ以上は聞かなかった。
Sとは、最初の時に貸した古いビデオゲームを返してもらうため、その後もう一度会っている。
その日は昼食だけで、Sは早々に帰っていったが、2度目は例の気配は感じられなかった。最初とは打って変わり、40才のパパらしい細かな格子柄の落ち着いたブレザーが印象に残っている。
貴方は、最初に会った時の奇妙な印象の事を徐々に忘れていった。
ただしそれは記憶の奥底に残り、やがてある疑問を解くカギとなっていく。
2007年9月下旬から2008年6月頃までの出来事である。