第2章 雷電
2-4.見えない侵入路(2009/7~/8)
その頃、使えなくなったPCの代わりに携帯からTwitterを利用していた。
Twitterアカウントは、件のゲーム運営会社から送られて来たURLから取得したもので、時々そのアカウントのTL(タイムライン:自分とフォロワーの書込み履歴)に、運営スタッフ達がその後の経緯を知らせてきた。
しかしひと月も経つ頃には、TLを開く度に、2番目か3番目辺りに必ずSの書き込みが見つるようになっていた。ネットゲーム、メールやSkype、そしてSNS、どんな通信手段を使おうが同じだった。
まるで報告書のように、何か悪事を働く度に、自慢げに英文スパムが送られて来る。
公衆電話を諦め、通信手段が携帯だけになった時のスパムである。
「携帯用のマルウェアだけで2000以上持っている。無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」
警察も役に立たず、もう限界かと思われた。
だが諦めなかった。強烈な怒りが、私を支えていた。
もっとわかり易いハッキングの証拠を手に入れようと、必死になった。
携帯も番号を変え、家族分も含めノートPCを新たに用意し、プロバイダもniftyからSo-netへ変更した。効率よくデータを保存する手段と、仕事道具がどうしても必要だったのだ。
しかしPC周りの刷新は、またもや徒労に終わった。
そこで今度は、自力で汚染された高性能PC内部のあらゆるファイルとフォルダを調べはじめた。
それはまさしく戦争だった。
最初に見つかったのはキーロガーだ。
ローカルフォルダーの奥深く、IE5というフォルダ内にそれは潜んでいた。
“IE5”とは、ブラウザの参照履歴を保存するためのフォルダで、そこにキーボードから入力したすべての文字列が一式記録されていた。
次に、異なるベンダー製のセキュリティソフトのフォルダ内に、全く同じ書式のマルウェアリストが入っているのも見つけた。
一番驚いたのは、OSのシステムフォルダ内をはじめ、各種のアプリケーションが装備しているHelp機能まで、あらゆる参照URLが丸ごと書き換えらえていた事だ。
Windows Updateの度に症状が悪化したのはこの為だった。
おまけにシステムログを見ると、画面キャプチャやプリンターの出力内容までが、FAX経由でどこかへ送信されていた。それはNTTから届く通信記録にも残っていた。
大量の不正アクセスの痕跡が次々と見つかったが、それらは見つけた途端に片っ端から消える、もしくは別のフォルダへ勝手に移動した。
代わりに見つかるのは、アプリケーションごとの「readme.txt」ファイルに「Warning! Warning! Warning!」の文字。だがそれも、一夜明けると別の文言に書き変わってしまった。
その間に、新たに計5人の友人や技術者が数回家を訪れ、PCや機器類、屋外の通信ケーブル設備まで隈なく調べ上げた。だが結局、誰一人として侵入経路と解決策を発見できなかった。
彼らは口々に言った。
「これはただのハッキングじゃない。サイバーテロだ!」
侵入路をハッキリ目にしたのは、新旧合わせて7台のPCがゴミと化し、仕舞い込んであった8台目の、最も古いノート機を起動した時だった。
電源ケーブルを繋ぎWindows95の画面を起動した途端、得体の知れない大量の「….drv」ファイルをロードする様子が画面上に現れた。見た事もない凄まじい量のドライバープログラムだった。
それが、起動と同時に一気にローディングされたのだ。
そのノート機はあまりに古く、通信機能を一切内臓していなかった。
専用のLANカードを差さなければ、どんな通信もできるはずがない。
「電源ケーブルだ!」
ずっと無線だとばかり思い込んでいたが、違ったのである。
電源ケーブルからこっそり侵入していたのだ。
何度PCを買い替えようが、あっという間に感染するのは当たり前だ。
レジや他のシステムサーバーだろうが、どれも同じだ。これでは防ぎようがない。
同じ頃に話題になり始めたゾンビPCが、電源ケーブルが感染口とは、7年経った現在も誰も知らないはずだ。
全ての怪現象は気のせいでも偶然でもない、何もかもSの仕業なのだ。もう疑いようがない。
恐ろしいほど狡猾だった。
“私の本当の力を知らない”、まさにその通りだ。
この危険極まるハッキング技術は、自分の存在と犯行を隠す、まさにその事の為に存在するのだ。
一方、私の家は、もはや休息できる場所ではなくなっていた。
小型家電は買い替える事自体を諦めたが、冷蔵庫やエアコンは過加熱で常時轟音を響かせていた。
TVは時折り、画面が赤やオレンジ色一色に染まり、壁のスイッチと、その奥にある配線ケーブルまでがジージーと音を発していた。
頭皮や体毛がざわざわと逆立ち、巨大な電子レンジを思わせた。
8月も半ば、とうとう私は、冷蔵庫を含むすべての電源ケーブルを抜いた。
最終的に、重電系の冷蔵庫とTVと、ほとんど使っていなかった数個の照明器具だけが残った。
Twitterアカウントは、件のゲーム運営会社から送られて来たURLから取得したもので、時々そのアカウントのTL(タイムライン:自分とフォロワーの書込み履歴)に、運営スタッフ達がその後の経緯を知らせてきた。
しかしひと月も経つ頃には、TLを開く度に、2番目か3番目辺りに必ずSの書き込みが見つるようになっていた。ネットゲーム、メールやSkype、そしてSNS、どんな通信手段を使おうが同じだった。
まるで報告書のように、何か悪事を働く度に、自慢げに英文スパムが送られて来る。
公衆電話を諦め、通信手段が携帯だけになった時のスパムである。
「携帯用のマルウェアだけで2000以上持っている。無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」
警察も役に立たず、もう限界かと思われた。
だが諦めなかった。強烈な怒りが、私を支えていた。
もっとわかり易いハッキングの証拠を手に入れようと、必死になった。
携帯も番号を変え、家族分も含めノートPCを新たに用意し、プロバイダもniftyからSo-netへ変更した。効率よくデータを保存する手段と、仕事道具がどうしても必要だったのだ。
しかしPC周りの刷新は、またもや徒労に終わった。
そこで今度は、自力で汚染された高性能PC内部のあらゆるファイルとフォルダを調べはじめた。
それはまさしく戦争だった。
最初に見つかったのはキーロガーだ。
ローカルフォルダーの奥深く、IE5というフォルダ内にそれは潜んでいた。
“IE5”とは、ブラウザの参照履歴を保存するためのフォルダで、そこにキーボードから入力したすべての文字列が一式記録されていた。
次に、異なるベンダー製のセキュリティソフトのフォルダ内に、全く同じ書式のマルウェアリストが入っているのも見つけた。
一番驚いたのは、OSのシステムフォルダ内をはじめ、各種のアプリケーションが装備しているHelp機能まで、あらゆる参照URLが丸ごと書き換えらえていた事だ。
Windows Updateの度に症状が悪化したのはこの為だった。
おまけにシステムログを見ると、画面キャプチャやプリンターの出力内容までが、FAX経由でどこかへ送信されていた。それはNTTから届く通信記録にも残っていた。
大量の不正アクセスの痕跡が次々と見つかったが、それらは見つけた途端に片っ端から消える、もしくは別のフォルダへ勝手に移動した。
代わりに見つかるのは、アプリケーションごとの「readme.txt」ファイルに「Warning! Warning! Warning!」の文字。だがそれも、一夜明けると別の文言に書き変わってしまった。
その間に、新たに計5人の友人や技術者が数回家を訪れ、PCや機器類、屋外の通信ケーブル設備まで隈なく調べ上げた。だが結局、誰一人として侵入経路と解決策を発見できなかった。
彼らは口々に言った。
「これはただのハッキングじゃない。サイバーテロだ!」
侵入路をハッキリ目にしたのは、新旧合わせて7台のPCがゴミと化し、仕舞い込んであった8台目の、最も古いノート機を起動した時だった。
電源ケーブルを繋ぎWindows95の画面を起動した途端、得体の知れない大量の「….drv」ファイルをロードする様子が画面上に現れた。見た事もない凄まじい量のドライバープログラムだった。
それが、起動と同時に一気にローディングされたのだ。
そのノート機はあまりに古く、通信機能を一切内臓していなかった。
専用のLANカードを差さなければ、どんな通信もできるはずがない。
「電源ケーブルだ!」
ずっと無線だとばかり思い込んでいたが、違ったのである。
電源ケーブルからこっそり侵入していたのだ。
何度PCを買い替えようが、あっという間に感染するのは当たり前だ。
レジや他のシステムサーバーだろうが、どれも同じだ。これでは防ぎようがない。
同じ頃に話題になり始めたゾンビPCが、電源ケーブルが感染口とは、7年経った現在も誰も知らないはずだ。
全ての怪現象は気のせいでも偶然でもない、何もかもSの仕業なのだ。もう疑いようがない。
恐ろしいほど狡猾だった。
“私の本当の力を知らない”、まさにその通りだ。
この危険極まるハッキング技術は、自分の存在と犯行を隠す、まさにその事の為に存在するのだ。
一方、私の家は、もはや休息できる場所ではなくなっていた。
小型家電は買い替える事自体を諦めたが、冷蔵庫やエアコンは過加熱で常時轟音を響かせていた。
TVは時折り、画面が赤やオレンジ色一色に染まり、壁のスイッチと、その奥にある配線ケーブルまでがジージーと音を発していた。
頭皮や体毛がざわざわと逆立ち、巨大な電子レンジを思わせた。
8月も半ば、とうとう私は、冷蔵庫を含むすべての電源ケーブルを抜いた。
最終的に、重電系の冷蔵庫とTVと、ほとんど使っていなかった数個の照明器具だけが残った。